道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 僕はその日、松本にいた。用事を済ませ叔父の家へ寄ってから帰京すべく駅に向かった。後は電車に乗り込むだけである。改札のあるフロアまで上ってくると、繰り返しアナウンスが流れている。「…のため、ただいま運転を見合わせております。」と聞こえる。よくよく聞いてみると、それは僕が乗る路線であり、車が線路に転落したという。復旧の見込みはたっていない。困ったことになった。

 折しも三連休の中日で、改札の前には観光客が溢れ返っている。みどりの窓口は長蛇の列だ。まだ夕方だし、後は家に帰るだけなので、僕はその辺をブラブラして様子を見ることにした。幸い駅ビルにはバーガーショップもあるし、本屋もある。ただ、新しい情報が気になるので、あまり離れるわけにもいかない。結局待合室で待機し、飽きたらその辺をフラつくことになった。

 復旧の前に振り替え輸送の案内があった。長野まで出て新幹線で帰京せよという。それはあまりに回り道である。東京でJRが止まって地下鉄で迂回するのとは訳が違う。僕は復旧を待つことにした、振り替え輸送に多くの人が流れたため、待合室や改札前の人混みも幾分緩和された。

 そして僕が予約した特急も運休になり、復旧は20時頃とのアナウンスがあった。その時点でまだ2時間近くあった。切符も買い直さなければならないがどの便を買ってよいかわからない。そして2月の松本の夜は恐ろしく寒い。待合室も寒い。頭の中には飲み屋で煮込みなんかつつくイメージがチラつく。しかし結局僕は待合室に残る。人間の器が小さいのである。

 切符を買い直した特急が(いろいろあって2回買い直した。)発車したのは21:00頃だった。そして自宅に辿り着いたのが午前1時過ぎである。みどりの窓口で2時間以上遅延した特急料金は払い戻しになると説明があった。損をしたのか得をしたのかよくわからない。でも、僕は昔からこういうハプニングは嫌いではない。だからまあ、得をしたことにしておこう。

道草な話

 僕は通勤経路上、銀座で乗り換えている。銀座線から有楽町線に乗り換えるのだが、地下通路ではなくいったん地上に出てから再び地下鉄の入り口を下りていくことになる。つまり毎日銀座の目抜き通りを歩くことになる。

 そもそも銀座とは全く無縁な人生を送ってきた。若い頃は銀座なんて興味がなかったし、歳をとってからも銀座で遊ぶような身分にはならなかったので、せいぜいテレビで見るか、池波正太郎のエッセイで読むくらいだった。まあ、仮に金持ちになったとしても銀座で豪遊なんてしたくない。いや、そうでもないかもしれない。人間、大金持ったらどうなるかわからない。だがありがたいことに大金持ちになる予定は全くない。おかげでマトモな人間でいることができる。何をもってマトモというのかはよくわからないが。

 銀座の中央通りは世界のブランドショップがひしめいている。僕は広い歩道に溢れる外国人の群れを避けながら地下鉄の入口を目指して歩く。ヴィトンやシャネルの入り口には入店待ちの長い列ができている。今この通りを歩いていると、日本語を耳にする機会はほとんどない。飛び交っているのは外国語ばかりである。日本人は皆、スマホを覗き込み、イヤホンをして黙々と歩いている。まるで植民地のようだ。我々が働き、彼らが遊ぶ。僕は愛国主義者ではない。全然ない。でもそんな光景を目の当たりにするとちょっと憂鬱な気分になる。たぶんあの外国人達がいなくなったら、ブランドショップは軒並み撤退していくだろう。日本人にはこの銀座の華やぎ維持する力はもうないのだ。別に維持しなくたっていいと思うけど。

 そんな通りを、僕は毎日歩いている。ふと昔を思い出す。学生時代、きれいな服を着て渋谷の街を歩く人々を眺めながらビラ配りをしていた。歳をとってもゃってることは大して変わらないな。僕は華やかな街や人々を横目で見ながら足早に通り過ぎる。そして自分がホッとできる場所へ帰っていくのである。

道草な話

 今年は年明けから公私共にバタバタして、疲れてしまった。正月休みが済んだばかりであるが、また休暇をとって心身を休ませたいところである。まあ考えてみれば、お正月がめでたくて、のんびり過ごせるというのはイメージであって、いいことも悪いことも普段と変わらずやってくる。「新年早々悪いこと続きで」とか考えるからいけないのだ。

 そんなある日の帰り道、いつもの電車に乗って、吊革につかまってほっと一息着いたところで、前の席に座っていた中年の男性(おそらく50歳前後)が、おもむろに立ち上がり、僕に向かって「どうぞ」と言った。僕はしばらく何のことか理解できずに固まっていたが、その席が優先席であることに気づき、席を譲られたということを理解した。その時、僕は思わず苦笑いを浮かべて「大丈夫です」と言ってしまった。その男性は、ちょっと困ったような顔をして、またその座席に腰掛けることになった。何となく居心地が悪そうだった。

 僕はその時仕事の帰りで、ビジネスバックを襷掛けにし、フード付きのコートを着て、スニーカーを履いていた。(私服OKの職場なのである。)なぜそんな僕に席を譲ろうとしたのか考えた。僕は年齢の割には白髪が多い。そしてだいぶ薄くなってきている。そして多分疲れた顔をしていたに違いない。(仕事でのトラブルがなかなか解決できず、悩んでいた。)そして、年齢的にももう60歳間近である。客観的に考えると、優先席を譲る対象に見えるかもしれない。ところが自分では全くそんな風に考えたことがなかった。そうか、周りからはそう見えているのかと少なからずショックを受けた。それと同時に自分のふるまいを反省した。よく席を譲られて怒り出す年寄りがいると聞くが、これは他人事ではない。席を譲ろうとした人に気まずい思いをさせてはいけない。これからはありがたくお受けするか、優先席の前にはなるべく立たないように気をつけよう。

 そんな風に僕は老人デビューを飾ったのである。

道草な話

 人と会うことは大切である。長い付き合いの友達だったりすると、メールやラインのやりとりだけでも充分通じ合うが、あまり面識のない人や一度も会ったことのない人とメールでやり取りしていると、不要な心配や怒りを抱くことになる。なぜかといえば、言葉だけでは情報が不足しているからである。本来、同じ言葉でも、人間関係や状況によって受け取り方は全く変わってくる。そのうえ文章だとものすごくそっけなくなる人もいる。そういう諸々が悪い方向に作用すると、トラブルに発展する。

 相手の人となりがわかっていると、同じ内容のメールを書くのでも相手によって書き方が変わってくる。簡潔な文章を好む人もいれば、丁寧な説明を好む人もいる。逆にすごくそっけない文書を送ってくるけど、会ってみたらとても親切な人で、ただ文章が苦手だったなんてこともある。そういう意味では、人と会うということは怖いことでもある。会ったばかりに嫌いになってしまったり、嫌われたりすることもある。でもこればっかりは仕方がない。運が悪かったと諦めるしかない。

 便利な世の中になって、電話やメールやチャットでのやりとりだけですんでしまうことが増えた。もともと出不精の僕には、大変ありがたいことである。ありがたいことではあるが、やはりむなしくなることもある。細かいニュアンスが伝わらない。言葉を投げかけた時の相手の表情や逡巡や困惑がわかれば、それに対して新たな言葉を投げかけられるのだが、それができないので、どうしてもやりとりが表面的になる。つれない返事をされても、そこに表情があると許せることもある。しかし文字だけでは腹を立てることになる。

 ビデオチャットなら表情が見えるかもしれない。でもいつも思うのだけれどそこに映っているのは本当の彼ではないし、本当の僕ではない。彼や僕に似た何かが会話しているのだ。

 そんなわけで、最近僕は人に会いたい。会えなくなる前に。

道草な話

 タバコの問題は深刻である。別に発ガン性がどうの、マナーがどうのという話ではない。愛煙家の受難の話である。マイノリティーの戯言である。

 値段がでたらめなのはこの際、諦めることにする。国家には逆らえない。(そんな気骨はない。)喫煙所で吸えと言われれば、はいはいと従うことにしている。うっかり入った店が全面禁煙だったりすれば、じっと我慢する。喫煙マナーには十分配慮しているつもりである。だがしかし、非喫煙者の攻撃は執拗かつ無慈悲である。思いやりの精神というものがない。少しでも匂いがするだけで、非難の声を上げる。まるで毒ガス扱いである。まあ、でも気持ちはわかる。匂いとか、音というのは一度気になりだすと我慢ができないものである。しかも社会的なマイナスイメージが力強く後押しする。こちらは黙り込むしかない。

 そんな愛煙家にとって、救いの手を差し伸べたのがタバコメーカーである。まあ、他にそんなことする人はいない。加熱式タバコというものを開発した。それは匂いも煙も出さない、周囲に迷惑をかけないタバコだという。おまけにタールも発生しないので喫煙者の健康にもよいという。まさに企業努力の賜物である。しかしそれでも世間は許してくれない。加熱式タバコも喫煙所で吸えという。バカバカしいので僕は紙巻きタバコのを吸い続けた。

 しかしマンションでタバコの匂いが問題視されるようになり、悩んだ結果、加熱式タバコを試すことにした。現在無料お試し期間中である。最初のうちはやはり違和感がすごかったのだが、次第に慣れてきた。そしてやはり匂いに関しては無臭とは言わないが雲泥の差がある。いわゆるタバコ臭というものは全くしない。自宅ではなるべくこれにしようと思う。

 しかし、タバコというのはニコチンが補給できればよいというものではない。喫煙という行為に伴う様々な要素が大切なのである。わかってもらえないのは、わかっているのだが。

道草な話

 秋である。秋と言えば、食欲である。食欲といえば、メタボである。メタボと言えば成人病である。成人病と言えば、食事制限である。中高年とは不自由な生き物である。

 僕にとって秋の味覚と言えば、山育ちなのでやはりキノコである。子供の頃は毎週末と言っていいほど親に連れられて山歩きをしていた。秋になるとそこにキノコ採りというイベントが加わった。それは楽しくもあり、辛くもあった。

 山菜として自生している食用のキノコを採ることは、なかなかに難しい。まず、食用のキノコを見分ける知識と経験が必要である。そして季節になれば、皆キノコを採りに行く。本格的にやっている人たちは、タイミングを見計らっているので、素人家族がのんびり採りに行く頃には、あらかた採りつくされていたりする。そのような状況下で、知識と経験に乏しい子供がキノコを採れるかと言えば、これは結構難しいのである。ほとんど無理と言っていい。セミプロが興味を示さないような駄キノコ(そんな呼称はないと思うが)の取りこぼしをたまに偶然見つけるくらいである。まあそれでも見つけられれば十分楽しい。いずれにしても、目を凝らして山の中を文字通り這いずりまわることになる。紅葉を楽しんだりしている余裕もない。

 それでも稀にたくさん採れることもあって、何度か山の中でそのままキノコ鍋にして食べた記憶がある。キノコと豚肉だけであるが、とても美味かったと記憶している。まさに野趣溢れる味わいであった。(と思う。)

 キノコ採りに夢中になっていると、気が付くと自分の居場所がわからなくなったりするので、時々声を掛け合ったりして自分の位置を確認する。子供たちと父はそれで迷子にならないようにしているのだが、母はフリーダムな人で、黙ってどんどん遠くへ行ってしまう。残った男3人がどうしたものかと途方に暮れていると、思わぬ方角からひょっこり姿を現す。そんなことも今となっては懐かしい思い出である。