道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 田舎のそこそこ大きな駅である。今は夜で、季節は冬。吐く息が白い。長距離列車の到着するホームの外れにそれはある。ホームの照明は薄暗く、列車が行ってしまったばかりで、人々は黒い影になって改札へ向かっている。そんな薄暗い光景の中で、そこだけぼんやりと明るくなっている。近づくにつれて、いい匂いが漂ってくる。建物の三方にステンレスで覆われた狭いカウンターが張り出している。そしてそのカウンターにもたれかかるようにして、数人の男が黙ってそばをすすっている。
 僕の中の「駅そば」というのは大体こんなイメージである。中にいるのは店員のおばちゃんが一人。壁に貼られた短冊のメニューを吟味して月見そばを注文する。おばちゃんはそばを湯にくぐらせ、寸胴から真っ黒なつゆを玉杓子ですくうと、そばを入れたどんぶりに注ぎ込む。そして、卵をテーブルの角で割って入れ、「おまちどう」と言って僕の前に置く。カウンターに置かれたネギをたっぷりと入れ、割り箸を口と右手で割ってからおもむろにそばをすする。麺は伸びきって、つゆはしょっぱいだけ。卵を崩すと、いくらかマイルドで食べやすくなる。そんな不味くておいしいのが僕の「駅そば」である。そしてそこには常に幸せと寂しさが入り混じっている。
 子供の頃、そんな駅そばを食べた記憶があった。やはり寒い冬の夜のことである。おそらく家族でどこかへ行った帰りだったのだろう。帰りが遅くなって、僕が「お腹が減った」と主張したのかもしれない。記憶の中では父と兄と僕の3人だけで、母はいなかったと思う。父がしかたなく子供たちに駅そばを食べさせたのではないか。その後も何度か駅そばを食べたのだが、美味しかった記憶がない。そして僕の頭には「駅そばは不味い」という情報がインプットされた。その後、東京に出てきて、町の立ち食いそばを頻繁に食べるようになっても、田舎に帰った時に駅そばを食べようと思ったことはない。
 先日、父の様子を見に帰った時、乗り換えの時間が随分空いてしまい、時間を有効に使うために久しぶりに駅そばを食べることにした。やはりおばちゃんが一人でやっていて、頼むとすぐに出てきた。ところがこれが実に美味しいのである。僕はすっかり堪能して店を出た。
 考えてみれば、僕の田舎はそばを観光の目玉にするくらいの土地柄である。そこの駅そばが不味いのでは話にならんということになったのかもしれない。
 でも、昔は本当に不味かったのです。