道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 ヒデキが死んだ。もちろん、既に多くの芸能人(僕らがリアルタイムで親しんできた人々)がこの世を去っているのだが、ヒデキの死は結構堪えた。まあ、脳梗塞になった時点で相当驚かされたけれど。何しろ、元気が取り柄みたいな人だったし、こんな風にいなくなるとは思っていなかった。
僕が育った家庭は、特に音楽に熱心な人がいたわけではない。親父がミュージシャンだったとか、兄貴がビートルズを聴きまくっていたとか、そういったことが全くないごくフツーの家族だったので、子供の頃に触れる音楽と言ったら、テレビから流れてくる歌謡曲が中心だった。そんな環境で、僕は初めてファンになったのが、西城秀樹である。小学校3・4年生くらいの話だ。
 「傷だらけのローラ」あたりからだったと思う。それまでああいった絶唱タイプの歌手がいなかったせいで、相当インパクトがあった。歌詞の意味なんかよくわからなかったし、過剰なアクションや、「ローラぁぁぁ!!」って絶叫するところは子供ながらにすこし恥ずかしかったけれど、それでも夢中になってしまった。道を歩きながら「白い教会」を大声で歌ったりしていた。変な子供だと思われていたかもしれない。
 一番自分の中で盛り上がっていたのは「若き獅子たち」から「ブルースカイブルー」の頃である。特に僕が気に入っていたのが「ラストシーン」だ。たまたま、母がかけていたラジオ番組から流れてきて、衝撃を受けた。西城秀樹の歌の中では、随分地味な印象のバラードだったが、その歌唱と歌詞のストーリーにすっかりやられてしまった。歌を聴いて涙を流したのはそれが初めてだったような気がする。その時、子供ながら「この人(この声)は、もっと違うタイプの歌を歌ったら、かっこいいんじゃないか」と思った記憶がある。だから、「ヤングマン」だとか「ギャランドゥ」なんか聴いたときはちょっとしらけてしまった。今更それはないだろうという気分だった。
 それにしても、あの頃の「歌謡曲」にはいい曲が多かった。フォークとかロックとかのジャンルに縛られず、それでいていろんなエッセンスを含んだ名曲揃いである。今聞き返してみても、演奏やアレンジもカッコイイ。僕らは次第にフォークだのロックだのを聴くようになり、「歌謡曲なんてダサいぜ」なんていい気になっていたけれど、歌唱も作詞も作曲もそれぞれのプロフェッショナルが集まって作り上げた名曲たちは、やはり有無を言わさぬ力があるのだということを改めて痛感させられた。