道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 今年も息子の担任の先生が代わった。今年3年生で毎年代わっているから、もう3人目である。最近は同じクラスで同じ担任で6年間を過ごすといったことはなくなってしまったのだろうか。立派な人たちが一生懸命考えた結果、今のような制度になっているのだろうと思うのだが、良くも悪くも学校というところがビジネスライクになってきているように思える。可能な限りリスクを避ける、トラブルの種を事前に回避するといった思惑が垣間見えるような気がする。あらゆるものに対する不信感ばかりが増していく現在の日本では、もう昔のやり方が通用しなくなったということなのかもしれない。
 ただ、ひとつ思うのは、子供にとっていい面もあるかもしれないということだ。いろんな先生に出会う中で、自分と相性の良い先生に巡り合う確率は増えるわけで、生徒によっては、6年間ずっと相性の悪い先生と過ごさなければならない苦痛からは解放されるわけである。まあ、逆に考えれば、せっかくいい先生と巡り合ったのに、たった1年でまた別の先生に変わってしまうということになるのだが。
 僕は小学校の時、ずっと同じクラス、同じ先生だった。六年生になる時に転校してしまったのだが、そのまま卒業していたら、さぞかし「仰げば尊し」が胸に迫って来たのではないかと思う。その先生は特に魅力的というわけでもなかったが、生徒を大事にしてくれた。僕は何度か友達と一緒に先生の家に遊びに行った。そこでいただいた版画絵は今でも実家に飾ってある。
 中学生以降は、あまりいい先生に恵まれなかった。魅力的な先生がいても、いつも他のクラスの担任だった。だから同窓会で恩師を囲んで語り合うという機会にも恵まれなかった。というか、同窓会というものに行ったことがない。これは先生のせいではなく、自分自身の問題に起因している。
 今年息子の担任になった先生は、僕が以前からちょっと気になっていた先生である。運動会などの学校行事で何度か見かけただけであるが、強く印象に残っている。それは、昔の先生にあったような「学校の先生としてのオーラ」を身に纏っているように見えたからかもしれない。「聖職」などという言葉は遠い昔に消え去り、学校の先生も今は単なる公務員、あるいは職業のひとつといった顔をしている人が多いように思う。実際、辞めていく人も多い。それでも子供たちから見たら、今でも先生は尊敬すべき存在なのだろうか。そうあってほしい。息子は「仰げば尊し」で涙を流せるだろうか。