道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 梅雨明け宣言が出て数日たった週末、父の様子を見に田舎へ帰った。施設に入っている父と会って、その帰り道、バス停に行ってみたが、一向にバスがやってくる気配がない。そういう時に僕はよく次のバス停まで歩いてみることがある。途中で抜かされたらそれはそれ、と思うことにしている。用事が済んで、後は電車に乗って帰るだけだ。先を急ぐ必要もなかった。結局次のバス停に着いてもバスはまだ姿を見せない。ふと、それなら駅まで歩いて行こうと思い立った。大まかな地図は頭に入っている。ただ、どのくらい時間がかかるかはわからなかった。まあ、疲れたらどっかでタクシーでも拾えばいいや、と考えていた。
 しばらく歩いているうちに、大事なことを思い出した。田舎では道で通りすがりのタクシーを拾うなんてことはまず不可能なのである。みんなタクシーを使う時は電話で呼び出すのである。案の定、タクシーの姿を見かけることさえなかった。そして僕が目安にしていた母校(高校)に辿り着いた時には、もう大分足がつらくなっていた。おまけに夏の太陽が容赦なく降り注いでのどがカラカラである。そして僕の記憶では、まだ行程の半分も来ていない。これはちょっとどこかで休憩しないと行き倒れになりそうである。その時、もう少し行ったところに叔父の家があるのを思い出した。藁にもすがる思いで呼び鈴を押すと、幸いにも在宅で、しばらく休ませてもらうことにした。お茶うけに梅を甘酢で漬けたものが出た。その梅の何とおいしかったことか。疲れた体には酸っぱいものがいいというのをつくづく実感させられた。結局、そのあと車で駅まで送ってもらうことになった。高校生の頃は、飽きもせず街中を歩き回ったものだ。情けない話である。
 僕は時々、「いいや、歩いてしまえ。」と思って、結果的にかなりの距離を歩いてしまうことがある。別に健康を意識しているわけではない。脚力に自信があるわけでもない。そして大抵、へとへとになって目的地へ到着する。時間だってもちろんかかる。それなのに「いいや、歩いてしまえ。」と思うのは何故なのだろうか。たぶん、面倒くさいのだ。電車に乗るために駅まで引き返したり、バス停でバスが来るのを待ったり、タクシーの空車ランプに眼を凝らしたりするのが面倒くさいのだ。自分の足で歩くのであれば、何を待つ必要もないし、誰に気を使う必要もない。そういうのが好きなのだ。たぶん。