道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 自分の老後を想像したことがない。それはひとえに、バラ色の老後を思い描けないからである。大きな会社に勤めて健康なまま定年し、たくさんの退職金をもらって、年金も潤沢で、かわいい孫に恵まれ、マイホームのローンも終わっている。そんな人生を歩んでこなかったので、老後を思い描く時に、暗澹たる気持ちになるからである。果たしてお金に困らずに暮らしていけるのだろうか、ローンは終わっているだろうか、いつまで仕事をしなければならないのか、そもそも仕事はあるのか、生きているうちに孫の顔を見ることはできるのだろうか、それ以前に長生きできるのだろうか等々、心配事ばかりが頭に浮かんでくる。だからなるべく考えないようにしているのである。本当はそんな人間こそ真剣に老後について考えなければいけないのであるが、「まあ、何とかなるんじゃね?」でごまかしているのである。いけませんね。

 それにしても、最近の老人たちは実に元気である。というか、老後の生活を充実させることに躍起になっているような気がする。特にサラリーマンの人達は自営業と違って定年があるわけで、仕事がなくなったら何をしていいかわからないという不安も抱えている人も少なくないだろう。そして毎日ゴロゴロとテレビを観ていることが罪悪だと思っている。だから生き甲斐を一生懸命探そうとする。寝たきりになったり、ボケてしまったりすることが恐ろしいので、ジムに通ったり、生涯学習を始めたり、いろいろと考えている。彼らはきっと死ぬ寸前まで頭脳明晰、元気ハツラツでいたいのだろう。つまり「老い」に抗うことに情熱を燃やしているのである。それを悪く言うつもりはないが、僕はもっと自然体で「老人」を楽しんでもいいのではないかと思ってしまう。だって今までひたすら働いてきたわけで、もう働かなくても大丈夫となったら、やっぱりのんびりしたいじゃないですか。ボケーと一日テレビを観たり、昼寝をしたりしたいじゃないですか。それで見た目が老け込んでいったってもう老人なんだからいいじゃないですか。徐々にいろんなことが以前のようにできなくなってきて、自分の衰えをしっかりと感じながら、ごく自然に死に向かった準備をしていくのもいいのではないかと思うのです。

 さて、僕自身は、まだ子供は小さいし、ローンもたっぷり残っています。貯えがあるわけでもありません。そこで、否が応でも当分現役で居続ける必要があります。老人になってもなかなか老後は訪れそうにありません。人生の最後に老いを楽しむ時間が少しでも残っているといいのですが。