道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 「人生万事塞翁が馬」ということわざがあるけれど、それをつくづく実感している。本当に何が起こるか全くわからない。多くの人々は、それはニュースの中の話であって、自分とは無関係だと考えている。だがしかし、それは誤った考え方である。そもそも他人に起こることが自分には起こらないと考えるなんて傲慢である。毎日真面目に一生懸命やっているのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないんだろう?なんて考えてはいけない。そんなものとは全く無縁なところで、不幸の種は蒔かれているのだ。淡々と。
 それでは人生は嫌なことばかりだろうか?いや、そうでもない。楽しいことだって結構あるはずだ。しかし我々は幸せの基準をいつの間にかかっちりと作ってしまっていて、そこから逸脱することに激しい拒否反応を示す。それは齢とともにより強固なものになっていく。本当は、見方をちょっと変えただけでずいぶん気分が軽くなるのだが、ある種のプライドがそれを邪魔している。自分が努力して、時間をかけて手に入れた現在の場所に対するプライドである。それを否定することは、自分の人生を否定することだと思ってしまうのである。それに耐えられない人達は誰かを傷つけたり、自らの命を絶ってしまったりする。彼らは思い描いた人生しか楽しめないのである。
 そもそも僕らは誰も未来を経験したことがない。どんなに経験豊富だろうと、どんなに書物を読みあさろうとも、未来に関してはただの素人である。そこで待っているのは自分の想像の範疇を超えた出来事かもしれない。そして場合によっては恐ろしく不幸なことが待っているかもしれない。それに直面した時、僕らはうろたえ、喚き、あるいは怒る。しかし人生は続いていく。だからどこかで見切りをつけて前に進まなければならない。昔の中国の思想家たちのように融通無碍に生きられたらいいのだが、俗人はなかなかそうはいかない。でも少しは見習うことができる。それは第三者としての視野を持つことである。「へー、自分の人生にこんなことが起こるんだ。」と感心することである。ただ、あんまりそれをやっていると、人から嫌われるようになるので気を付けなければいけない。あいつは冷血動物だなんて言われてしまう。
 しかし、どんなに考えたところで、結局現実の前では我々は無力である。おろおろしながら生きていく。それを自分の中で消化できるまでには時間がかかる。だからみっともないことを繰り返しながら、頑張って生きていこう。命が尽きるまで人生は続くのだから。