道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 父が亡くなったのはクリスマス・イヴである。母が亡くなったのは我々夫婦の結婚記念日である。だからうっかり命日を忘れることはない。便利と言えば便利であるが、そのたびに思い出すことになる。

 父について語ろうとすると、少し躊躇してしまう。それは僕が長い間、父のことを嫌って避けていたからである。故人の悪口は言いたくない。しかし父について語る時、それを避けて通ることはできない。

 父は別にひどい人間ではなかった。家庭を顧みないわけでもなく、浮気をするわけでもなく、ギャンブルにお金をつぎ込むわけでもない、ごくごく真面目な、どちらかというと優しい男である。それではなぜ僕が嫌っていたかというと、たぶん僕が望む父親像と真逆の人間だったからである。だから彼は全く悪くない。僕が一方的に嫌っていただけのことである。ひどい話だ。しかし、僕にはどうしようもなかったのだ。特に若い頃は。

 そんな父を受け入れられるようになったのは、僕が30代になった頃である。その頃から僕は他人に対して寛容になって(何様だよ)、ちょっとそれはどうかと思うところがある人でも、「まあそういう人なんだから仕方ないか」と考えられるようになっていた。そして父もその「仕方のない人の箱」に入ることになったのである。まあ、定期的に顔を見せに帰るくらいしか、出来る親孝行もなかったけれど。

 歳をとるにつれて、父は頑固にそしてわがままになっていった。ずっと彼と一緒に暮らしていた母は、一時期かなりきつかったようだ。しかし父は食事や身の回りの世話を母に頼り切っていた。だから彼女は我慢したのである。ところが、その母が突然逝ってしまい、父は愕然とした。絶対に自分が先に死ぬと思っていたのである。そして自分が死ねば、母は好きなことに時間を使えるようになると思っていたようである。彼は何のために生きているのかわからなくなってしまったようだ。それでもしばらくは頑張って慣れない一人暮らしをしていたのだが、それも難しくなって施設に入ることになった。

 最後に会話したのは昨年の晩夏である。もう寝たきりに近い状態だったが、帰り際に手を差し出すと思いのほか強い力で握り返してきて、突然、「自分を大事にしろよ」と言った。その時僕は、これからはきっと折に触れて、彼がその時どんな思いでそう言ったのかを考えることになるだろうと思った。彼の最後のメッセージは、僕にとっての遺言である。親父、お疲れさん。