道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 宮古島へ着いた翌朝、早速友人から電話が入った。彼は高校時代からの付き合いで、大阪に住んでいる。今回宮古島へ寄ることにしたのも、ほぼ同じ日程で彼ら夫婦が宮古島に来ていたからである。彼らは宮古島にすっかりはまっていて、毎年一度は訪れるらしい。八重山諸島を精力的に巡った後だったので、宮古島ではのんびりしようと目論んでいたのだが、彼らが宮古島に精通していることもあって、やはり盛りだくさんの日程となった。
彼の奥さんの運転するレンタカーに乗って、まず我々が訪れたのは、三線の製造工場である。工場といっても小さな町工場といった風情で、主人と弟子たちが手作業で一本ずつ三線を作っている。気の荒そうな犬に吼えられながら、併設の販売所を覗いた後、工場を見学させてもらった。主人は60代位の元気なおじさんで、見た目は怖いのだが、話してみると気さくな人だった。主人は材料の説明から、販売の苦労に至るまで熱心に語った。そして、とてつもなく話し好きであった。僕らは必死に切り上げる機会を探っていたのだが、やっと解放された時は、話し出してから一時間近く経っていた。
それから我々も食事をして、彼らお勧めの海岸に向かった。そこは岸からすぐ珊瑚礁になっていて、シュノーケリングでも実に様々な魚が見られるのだが、彼らがそこを気に入っている最大の理由は、その海岸の監視員のような仕事をしているおじさんの存在であった。そのおじさんは仙人と浮浪者の中間のような風貌で、テントのようなものの中で焚き火をしていた。僕らにコーヒーを淹れてくれて、簡単に海岸での注意をすると、あとは焚き火の前に座ったきりである。どうやって暮らしているのか、全く想像のつかない人だ。ただ、その人を慕ってやっている若者が結構いるようで、その日も一人の女性がやってきて、そのおじさんが考案した(らしい)、流木を焼いたものを紙やすりで磨くという不思議な作業に参加していた。
 そして、夜は彼ら行きつけの居酒屋へ行った。僕らだけでは絶対に入れないような地元臭プンプンの店である。そこの主人がまた変わったおじさんで、途中から客そっちのけで僕らと一緒に飲みだした。沖縄訛りでよくわからない主人の話を聞きながら、僕はその日出会った人達の中に流れている時間のことを考えていた。皆、時計など気にもしない。時間は時間で勝手に流れている。こういう人たちと付き合うには、覚悟が必要である。
ホテルに戻ったのは、もちろん真夜中であった。