道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 引っ越して一ヶ月近く経った。が、まだまだダンボールが山積みになっている。必要最低限のものを出して一息ついてしまったせいもあるが、レイアウトが決まらないのも理由の一つである。今までの引越しはダンボールを開けて、元の場所に機械的に並べていったのだが、それをやっているといつまでたっても整理ができないということに今回やっと気づいたのである。そこでがんばって要らないものを捨てているのだが、一向に片付く気配がない。いったい、いつからこんなにものが増えてしまったのだろうか。
 今まで僕は使えるものを捨てるという習慣がなかった。壊れたものはなおして使ってきたし、使わなくなったものは「また使うときがくるかもしれない」と思ってしまっておいた。だからなかなか新しいものを買う機会がなく、服だって10年以上経っているのが結構ある。それでも少しずつはものを買い足しているわけで、しかるべき時間が経てば、しかるべき量のものが増えていくのは当たり前のことである。こういう話を「貧乏臭い」と言って嫌う人もいるかもしれない。確かに貧乏臭い。でも染み付いた習性はなかなか直らない。
 そもそもあまり物欲というものがない。用が足りれば何でもいいという分野が結構多い。そしてそういう傾向は年々強まってきているような気がする。僕は元来何かを買おうとすると、納得がいくまでとことん探し回る傾向があり、そういうことに疲れてしまったのかもしれない。
 東京で一人暮らしを始めた頃は、「無くても何とかなるけど、あったらうれしい」ものがいっぱいあった。特に電化製品である。炊飯ジャーや洗濯機や2ドアの冷蔵庫を手に入れたときの感激は今でも忘れない。特にエアコンを初めてつけたときは、嬉しくてしばらく全く外出しなくなった。そうやって少しずつ快適な生活に近づいていったのである。
 それらの「準・生活必需品」はひととおり揃ってしまった。そうなるともう買うものが思いつかない。しかし買い物は決して嫌いではない。だから何かが駄目になって買い替えるしかないとか、生活が変化して新たに必要なものができたと言うような、止むに止まれぬ事態が発生したりすると、僕はいそいそと買い物に出かけて行くわけである。
 今の部屋がすっかり片付くまでには、まだまだ時間がかかりそうである。そして今密かに僕は、収納グッズを買うことに興味を持ち始めている。