「このビルなんだけど・・・・。」
そう言われて顔を上げると、そこには廃墟のようなビルの入り口があった。人の気配もなく、玄関フロアには最低限の照明しかついていない。確か今日は彼がパーソナリティーをつとめるラジオの生放送に出演するという話しだったはずである。不安を感じつつ、時代を感じさせるエレベーターに乗り込んで、僕らは最上階まで上がった。
エレベーターを出ると、吹きさらしの通路に古びたドアが並んでいる。住居フロアのようである。どのドアも硬く閉ざされ、やはり人の気配がない。しばらく進むと、彼はそんなドアのひとつを無造作に開け、中に入っていった。僕はわけがわからないまま、その後に続いた。
玄関から細い廊下がまっすぐ伸びており、その突き当たりの部屋から一人の男性が現れた。その人が「FMうらやす」の局長であるという。そしてこのビルのテナントとして唯一立退きに応じず、長きにわたってビルのオーナーと争っているという。一見、そんなバイタリティーがあるようにはとても思えない風貌である。とりあえず上がって挨拶をする。控え室として案内された部屋はあらゆるものがうず高く積み上げられており、その隙間にギターを置いて、別の隙間にあるソファに腰掛けた。廊下にも、洗面所にも、とにかくあらゆるところにいろんなものが雑然と置かれている。それは懐かしい風景である。まるで僕らが学生自体に暮していたアパートの雰囲気そのものなのである。その当時、誰のアパートに遊びに行っても足の踏み場もないほど散らかっており、酔っ払って雑魚寝するスペースを確保するのも一苦労だった。勿論、ここは散らかっているのではない。収まりきらない荷物があふれているのである。
収録ブースとなっている突き当りの部屋にギターを持って入る。ここがまた、機材で溢れかえっている。人が擦れ違えない程の狭小スペースで生放送は始まった。聴いている人も、まさかこんなところから電波が発信されているとは思わないだろう。僕は出番を待っている間、窓から見える夜景を眺めていた。身動きもままならないような場所から見る広大な光の海は、僕を不思議な気分にした。それはこの世界に一人ぼっちで取り残されたような気分である。何となく作り話の世界にいるような気分で、僕は収録を終えた。あれは果たして実際にあったことなのか、未だに不安である。