息子を富山の曾祖父母の家に連れて行って感じたことは、どうも自然が苦手らしいということである。近くのショッピングセンターに連れて行った時は、大はしゃぎで歩き回っていたのだが、これまた近くの神社に散歩に出掛けた時は、ひたすら泣きっぱなしで歩こうともしなかった。まあ、古そうな神社だし、大人には見えないいろんなものが見えてしまったのかもしれないが、それによって彼は「自然が苦手な都会っ子」という烙印を押されてしまったのである。まあ、僕が勝手に押したんですけど。
まあ、僕らと違って東京で生まれ育っているわけだから、無理もない話ではある。東京のお行儀のよい小さな公園と田舎の手つかずの自然とでは、その成り立ちからして全く別物である。いきなり自然と戯れろと言ったって、それは酷かもしれない。そこで東京に戻ってから、都内の比較的大きな公園に連れて行くことにした。自然の中を歩き回って、自然なものに親しむことに慣れさせるのが今回のミッションである。我々は気持ちのよい秋晴れの中、お弁当を持って新宿に向かった。
平日の公園は程よく空いていた。木陰でお弁当を食べた後、芝生でボール遊びを試みたのだが、あまり乗ってこない。他の子供達はすっ転んだりしながら元気に飛び回っているのだが、彼はおっかなびっくり芝生の上を行ったり来たりしているだけである。あまり無理強いしてもしょうがないので、ブラブラと散歩することにした。彼に行き先を任せて歩いていると、芝生からそれて、林の中に入っていく。やがて地面にしゃがみこみ、落ち葉やら枯れ枝やらを手に取ったり、地面を掘り返したりし始めた。おお、やれば出来るじゃないか!と思いつつ、様子を伺っていたのだが、一向に立ち上がる気配が無い。いい加減腰が痛くなってきたので、半ば無理やり散歩を再開した。
しばらく歩くと、池のほとりに出た。池の中には魚やら亀やらがのんびり泳いでいる。ところが彼は池には全く興味を示さず、その周りにある石段の上り下りに夢中になった。足場が不安定なので、僕の手を離そうとしない。そしてそれは土堀り同様、エンドレスに繰り返される。秋とはいえまだまだ強い陽射しに後頭部を照らされ続け、僕は次第に意識朦朧となってく。そうだ、子供は飽きることを知らないのだ。子供に付き合うには、そして自然に親しむということは、それに付き合う体力が自分に必要だということを痛感させられた一日でした。