その日、僕らはお台場にいた。長年の懸案になっていた台所の棚を買い換えるのが本日の目的である。独身時代から使い続けている複数の小さな棚を寄せ集めて構成されている現在の棚は、背板が外れたり、ガラス戸が欠けたり、宿命的な汚れが付いていたりという、悲しい状況になっていた。一番近くて安い家具屋があるということで、お台場に行くことになったのである。
地下鉄の駅を出て、ショッピング・モールに近づくにしたがって、何やら威勢のいい掛け声が聞こえてくる。そのショッピング・モールの入り口にはちょっとした広場があって、そこで様々なイベントが開催されている。以前来た時は、和太鼓のパフォーマンスをやっていた。今回もその類かと思い、近づいていくと、やたら大勢の人が集まっている。そして広場の真ん中では、両手に鳴子を持った大勢の人達が、派手な衣装で踊っている。どうやらこれは「YOSAKOI」というイベントらしい。
札幌が発祥と言われている「YOSAKOI」は、高知県のよさこい祭りが原型になっているという話だが、そもそもよさこい祭り自体をよく知らないのでよくわからない。そしてよくわからない人間(それもある程度年齢がいっている人)から見ると、それは竹の子族とか、一世風靡セピアとかと同じ箱に入ってしまう代物である。民謡らしきものをロック風にあるいはダンスミュージック風にアレンジしたBGMに乗って、ひと世代前の暴走族のようなお揃いの衣装を着たチームが交代で踊りを披露する。そこには日本の祭りの情緒など微塵もない。踊っている人達はおそらく楽しいのだろう。しかしそもそも人前で披露するレベルの踊りでさえない。そして子供ならまだしも、いい年をしたおばさんたちのチームに至っては、正直見るに耐えない。そしてその集団がその衣装のまま、ショッピング・モールの中を闊歩している。飲食店もその集団で一杯である。関係ない普通の買い物客にとってははなはだ迷惑である。
本来、皆がひとつの目標に向かって熱心にあるいは必死に取り組む姿というのは、人の感動を呼ぶものである。それが全く感じられないのは、「YOSAKOI」を踊っている人達に、それを踊らなければならない必然性が全く感じられないからだろう。彼らはそれが「YOSAKOI」でなくても、もっと言えばダンスでなくても構わないのだ。
僕らは買い物を済ませ、早々に引き揚げた。次回からはイベント情報をチェックしてから来よう。でもきっと忘れて同じような目に遭うに違いない。