道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

先日、テレビでイタリアの田舎町を舞台にしたドキュメンタリーを見た。山の中腹にポツンとある小さな町で、街中の人達が知り合いのようなところだ。人々は山を切り開いた畑で野菜を作り、森の中で山菜を採り、移動販売車が来ると、足りないものを買い足して暮らしている。静かで、とても穏やかな暮らしである。

その町で育った二人の男性が主人公である。一人は農業が嫌で、都会に出て理容師になる。しかし、都会の生活が性に合わず、田舎に戻って美容院を開業する。収入は決して多くはないが、それなりに暮らしている。小学校の時、厳しくて嫌いだった先生がお客でやって来たりする。そして昔は嫌いだった畑仕事も仕事の合間にやるようになっている。今の生活にとても満足しているようだ。

もう一人は、弁護士である。やはり都会に出て資格を取った。都会ならいくらでも金が稼げるが、彼は迷うことなく田舎の町に帰り、個人事務所を開業する。彼はその田舎の町をとても愛している。そこには大好きな家族や、小さい頃からずっと一緒だった友達がいる。「ここが僕のルーツだ。」と彼は言う。この田舎町の素晴らしさを次の世代に受け継いでいきたいと言う。

その番組を見ていて、僕は羨ましいと思った。僕も田舎町で育った。しかし、彼らのようにその町への強い愛着はない。なぜなら、僕の家はたびたび引っ越したからだ。だから小さい時からずっと一緒という友人はいない。近所の人達の名前や顔もあまり知らない。先祖代々の土地で暮らしてきたわけではないのだ。だから田舎育ちなのに、自分のルーツがあいまいなのである。実家に帰れぱそれなりに懐かしいと思うのだが、心のどこかで「本当の故郷はここではない」と思っている自分がいる。そう、その田舎町でも僕はよそ者なのである。それもあって、田舎に帰って暮らしたいという強い願望がわいてこない。まあ、帰りたくないのは他にもいろいろと理由があるのだけれど。

もし僕に故郷と呼べる場所があるとすれば、幼稚園から小学校5年生まで住んでいた町だ。今でも時々訪れてみたくなる。しかしそこに僕の家はない。その当時住んでいた借家の痕跡が残っているだけである。親戚だって一人も住んでいない。それを故郷と呼んでいいものかどうか、僕にはあまり自信がない。

しかし、「ふるさと」という歌を口ずさむ時、思い描くのは決まってその町の山や川である。嗚呼、いつの日にか帰らん。