道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 二月の最初の週末、我々は上越新幹線の車中にいた。二階建て車両の一階席。天井も低く、座席の幅も狭い。お世辞にも快適とはいえないが、一時間たらずで新潟まで行けるというのはありがたいことである。越後湯沢の駅に着くと、暖冬とはいえやはり白一色の世界。がらがらの特急に乗り換え、少しほっとして、車窓に広がる北国の厳しい風景をぼんやり眺めていた。
 冬といえば、日本海である。荒々しい波、横殴りの吹雪、そしておいしい海の幸。今回の旅行には明確な目的があった。それは本場の「寒ブリ」を食べることである。その目的は富山に住んでいる親戚に事前に伝えてあった。軽い気持ちで話をしたのだが、僕自身が田舎の出身で、身に沁みてわかっているはずなのに、田舎の人達が本腰を入れてもてなすということはどういうことか、ということをその時はすっかり忘れていた。
 駅からタクシーに乗り換え、親戚の家に着くと、既に準備はすっかり整っていた。ぶり大根にぶりの照り焼き、そしてもちろん食べきれないほどの刺身。地元の魚屋から仕入れたぶりは肉厚で、刺身などは歯を押し返すような身の締まり具合である。そしてもちろんたっぷり脂がのっているのに、食べ飽きることがない。我々はすっかり堪能して床に着いたのだが、後から思えばそれはほんの序章に過ぎなかったのである。
 翌日、我々は車に乗り、ぶりで有名な氷見の民宿へ出かけた。海辺の民宿といえば、もちろん豪華な食事が売りなのだが、東京からの客をもてなすということで事前にお願いしてあったらしく、あらゆる海の幸が手ぐすねを引いて待っていた。それは質、量ともに我々の想像力をはるかに凌駕するものだったのである。
 ああ、そこから先のことは、あまり詳しく書く気力がない。我々は果敢に挑み続け、そして戦いに敗れたのである。テーブルの上に残され、片付けられていくのをなす術もなく見送ったものたちは、どれも東京ではなかなか口に入らないものばかりであった。罪深きは、田舎のもてなしである。
 子供の頃、祖父母の家に遊びに行くと、たらふく食べておなかいっぱいになった頃に、祖母がとんかつを揚げ始める音が聞こえて愕然としたことがある。もう食べられないと言うと、祖母は困惑したような寂しそうな表情を浮かべた。もてなされるということは、それなりの覚悟を伴うことである。改めてそんなことを考えさせられた夜であった。