道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 実家から荷物が届いた。年に何回かそういうことがある。それは僕が東京へ出てきてからずっと続いている。有難いことではあるが、時々うるさく感じることもある。中身は大抵野菜や果物、それに漬物やお菓子といったところだ。荷物が届けば、御礼の電話をすることになる。声を聞かせることも親孝行のひとつと思えば、まあ仕方ないかと思う。
今回も届いた翌日に電話をして、親と少し話をした。その中で突然、「お前は昔、頭を切って大怪我をしたが、その時血液製剤を使ったか憶えているか」と言われた。当時僕は小学校3年生ぐらいだったので、そんなこと憶えているわけがない。そのかわり大怪我をしたときのことを思い出した。
その頃住んでいた家の近くに、庭に飾る大きな石の集積場みたいなところがあって、僕らの格好の遊び場になっていた。いろんな形をした、僕らの身長くらいある大きな石がごろごろしていて、そこでかくれんぼをしたり、石の上を跳び回ったりして遊んでいたのである。その日も僕は近所の友達と一緒にそこで遊んでいた。雨が降った後で、石は黒々と濡れていた。僕がちょうど一番大きな石の上に跳び移った時、濡れた石に足を取られて転倒した。石の上から落ち、その下にあった石に頭をぶつけた。ショックでしばらく呆然としていたが、一緒に遊んでいた友達の悲鳴で我に返った。痛みは感じなかったが、後頭部が妙に熱い。手をやるとべっとりと血がついてきた。僕は泣きながら家まで歩いて帰った。家に着いた時、頭から流れた血がシャツを真っ赤に染め、腕をつたって握っていたゴムボールから滴り落ちていたのを憶えている。帰ってきた僕を見た母親は開口一番、「何をやってるの!」と怒って、痛い痛いと泣き叫ぶ僕の頭を消毒して、自転車で近くの病院まで連れて行った。僕は驚いたり心配してくれる母親の姿を想像していたので、何だか釈然としなかった。病院でも頭を縫われる痛みに泣き叫ぶ僕を尻目に、医者と談笑している母親の姿を見て、とても理不尽な気分になったのを覚えている。まあ、今にして思えば無理にそうやって振舞っていたのかもしれない。そのおかげでそれほど深刻な怪我じゃないかもしれないという気になったのは事実である。
幸い大事には至らず傷は治ったが、今でも僕の後頭部にはその傷跡が禿げになって残っている。しかし昔の親というのはいい意味で雑でしたね。今なら大騒ぎして救急車を呼んだり、人によってはそんなところに囲いもなく石を置いている業者を訴えるかもしれません。それがいけないとは言いませんが。