道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 道を歩いていて、子供を追い越すと、むきになって抜き返されることがある。大抵、一人で歩いている男の子であることが多い。足の長さが違うので、どうしてもまた追い越してしまうことになる。そうすると今度は走って抜き返してくる。そんなことを繰り返しているうちに、子供はそのまま走り去ってしまう。僕はそんな子供の後姿をぼんやりと見送っている。
 なぜあんなふうにむきになるのだろうか。子供にとって追い抜かれるということが屈辱なのか。それともそれはゲームなのだろうか。そして自分が子供の時に、やはり同じようなことをしていたのだろうか。おそらくしていたのだろう。僕も結構激しく負けず嫌いな子供だったので。
 今、僕の通勤ルートは一部通学路と重なっていて、学校へ向かう小学生たちと一緒になることが多い。ところがいっこうに抜き返してくる子供を見かけない。よく見ると一人で歩いている子供がほとんどいない。大抵、二・三人でいるか、親と一緒だったりする。確かに車通りも激しいし、最近は変な事件もあるので、あまり一人で歩かせないのかもしれない。僕は一人で道草しながら歩いている子供が結構好きなので、ちょっと寂しい。一人でいろんなことを空想したり、大人に対抗意識を燃やしたりすることは結構大事なことだと思うのだけれど。
 さて、そんなある日、仕事帰りの道で、一人の女性を追い越した。僕は、暗い夜道で女性の後ろを歩き続けるのはあまりよろしくないと考えている。だからなるべく離れて速やかに追い越すことにしているのだが、その時の女性は、何故か追い越されると同時に、ものすごい勢いで僕に追いすがって来た。そして信号のところを斜め横断して再び僕の前に出た。その結果、僕は再びその女性を追い越すことになった。すると一段と靴音を響かせて迫ってくる気配である。僕は面倒くさくなって先に行かせようかとチラッと考えたが、どこかでスイッチが入る音がして、逆に加速していた。その無言のデットヒートはしばらく続いた。
 その女性が何故激しく追いすがってきたのかよく分からない。もしかしたら単に急ぎの用事を思い出したのかもしれない。それとも男に追い越されることを潔しとしない性格なのかもしれない。しかし張り合う僕もどうかと思う。
情けないことに、翌日、筋肉痛になった。