道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 6月最初の日曜日、僕は早朝の東武東上線に揺られていた。梅雨時とは思えないほどの快晴である。天気予報によれば、最高気温が30度を超えるという話だ。僕はダークスーツの上着を膝の上に置き、ぼんやりとした頭で文庫本の活字を追っていた。
 彼の父親が亡くなったという知らせが届いたのは昨日のことである。迷った末に、僕は葬儀に参列することにした。彼の父親と直接面識はないのだが、学生時代から何度も彼の口から父親の話を耳にしていた。彼の父親に対する嫌悪は相当激しく、会えば大喧嘩を繰り返していたらしい。仕送りもなく、彼はアルバイトだけで生活費と学費を賄い、大学を卒業した。そんな彼だからこそ、父親の死は大きな衝撃だったのではないかと思った。彼に会って、一声掛けたいと思った。そんなわけで、はるばる電車を乗り継いでやってきたのである。
 群馬県との県境に近いその駅前には、文字通り何もなかった。バス停もなく、コンビニエンスストアもなく、もちろん客待ちをするタクシーの姿さえない。そして人っ子一人歩いていない。僕は喫煙所で煙草をふかしながら、どうしたものかしばらく考えた。葬儀場までは歩いていける距離ではなさそうである。すっかり色褪せたタクシー会社の看板を見つけて電話してみたが、電話に出たおばちゃんの話では、しばらく廻せる車はないという。仕方なく車で来ていた別の友人に連絡を取り、迎えにきてもらうことにした。
 葬儀場に到着すると、告別式は定刻より早く始まっていて、僕らは受付を済ませるとすぐに会場に案内された。参列者は少なく、司会者の必要以上にオーバーなナレーションばかりが耳についた。喪主挨拶の時、彼は途中で絶句してしまった。その何秒間かの間に彼の頭の中に去来したものは、おそらく他人にはできない愛憎の入り混じった激しい感情だったのだろう。静まり返った会場の中で、僕は彼が次の言葉を探し出すのをじっと待っていた。
 告別式が終わり、駐車場で彼と少し話をした。「喧嘩相手がいなくなっちまったよ」と彼は笑っていたけれど、僕には大柄な彼の体が、何となく小さくなったように見えた。
 我々は誰かの子供として生まれ、そして成長していく。そしてある日、誰かの子供であることから解き放たれる。どんなに疎遠であれ、不仲であれ、足元の梯子が外されたような不安を誰もが感じるのではないか。そんな気がする。
 僕はその時、いったいどんなことを考えるのだろうか。