道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 別れの季節である。学校では卒業式、社会人は転勤や引越しあるいは転職などのシーズンである。一体いつから3−4月が社会生活の区切りになったのだろうか。まあ、正月と重なったらいろいろと行事が重なって大変だからかもしれない。この季節、街にはいろんなミュージシャンが作った別れの歌(特に卒業の歌)が、お涙頂戴とばかり流れ出す。それがあまりにもあからさまな商売に見えて、僕はウンザリさせられる。昔の名曲を下手な若手がカバーする段に至っては、怒りさえ覚えることもある。まあ、それは僕が歳をとったからかもしれない。自分がリアルタイムに聴いた歌が、自分にとっての別れの歌である。
 今の中学生や高校生は、今流れている別れの歌に感動し、涙するのだろう。僕らから見てくだらない歌でも、彼らにとって大切な歌ならば、僕らがそれについてどうこう言う筋合いはないのかもしれない。ちなみに僕が涙した歌は、「なごり雪」と「君と歩いた青春」である。
 さて、僕にはそういう節目での切ない思い出というものがない。卒業式の日に片想いだった彼女に告白した(または告白された)とか、恩師と涙の握手を交わしたとか、転勤のために上野駅で見送りの仕事仲間に万歳三唱をしてもらったとかいう経験は皆無である。それはきっと僕が素直でないからかもしれない。皆と一緒に、漠然とそういう雰囲気に巻き込まれることが嫌なのだろう。もちろん僕だって、別れに涙したことはある。でもそれは、時節柄とは関係ないことが多かった。特に女性との別れなんていうのは、突然やってくるものだ。こっちの事情や時節柄なんて全然考慮してくれないのだ。まあ、考慮されてもちょっと困るけれど。
 学校を卒業したり、組織を離れたりすると、今まで一緒だった仲間達と疎遠になることは間違いない。そして新しい生活が始まれば、そういった付き合いが次第に薄れていくことは止むを得ない。しかし僕はそれについてあまり悲しく思わない。付き合いであれ、記憶であれ、残るものは残るのである。そして僕の中に残り続けている限り、その人達との付き合いは続いているし、随分と時が経ってから再会したとしても、すぐに昔のように会話ができるのである。
 子供の頃から現在に至るまで、僕が所属してきた組織やグループは、今考えてみると随分ある。そしてそれぞれの時代に付き合ってきた仲間達は、今も少なからず僕の中で生き続けている。だから「あいつ、最近付き合い悪いよな」と思っている皆さん、どうか勘弁してやってください。