道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 気持ちの良い晴天のゴールデンウィーク。その日、僕と妻と息子の三人は、小高い山の上に造られた公園の一角で、祖父母(僕の父と母である)の到着を待っていた。そこは公園の中にある動物園の入り口で、木造りのベンチと椅子が置いてある。すぐに来るものと思っていたのだが、一向に姿を見せないので、僕はだんだん不安になってきた。何か深刻なトラブルが起きたのかもしれない。しかしこんな時のために祖母が購入した(させられた)携帯電話は自宅に忘れてきた。僕らは行き違いを避けるためにここでじっと待つしかない。それは懐かしい感覚ではあるが、やはり不便だ。
 事の発端は、駐車場の問題であった。その公園には広い駐車場が完備されているのだが、何しろゴールデンウィークである。祖父は絶対に駐車場には入れないと主張する。何しろ地元民であるから、彼の発言を信用するしかない。それでも一応途中まで行ったのだが、渋滞につかまって、僕ら三人を降ろすと、彼はUターンして、車の置き場所を探しに行った。そして残された僕らは、指定された場所(動物園の入り口)で彼らの到着を待つことになったのである。
あまりにも遅いので、妻と息子を残し、僕は探索にでかけた。しかし広大な公園をあらかた見て回ったが、見つけ出すことはできなかった。結局、元の場所に戻って待っていると、ようやく姿を現した。
 話を聞くと、結局あてにしていた場所がすべて埋まっていて、仕方なくかなり離れた場所に止めてきたという。それにしても遅かったねと言うと、遠くへ止めたからの一点張りである。僕は嫌な予感がした。彼らが「遠い」という時は、本当に遠いのである。
 動物園を散策した後、車を止めた場所まで歩くことになった。公園の中を奥まで進むと、山に突き当たった。そこまででも結構な距離だったが、そこからその山を登るという。確かに獣道みたいなものがあるけれど、ものすごい急勾配である。何とかその山を上ると、今度は山中の上り下りが延々と続く。山歩きをしに来たのなら、それなりに楽しい道程だが、何せ車を置いた場所まで歩くと聞いているので、全然楽しくない。完全に気力を喪失した息子を何とかなだめすかしながら、漸く人里に辿り着いたときは正直ホッとした。
 今回の教訓はふたつ。あちこち痛い痛いと言っていても、田舎の年寄りは我々よりはるかに健脚である。そして彼らの言葉(ちょっと遠い、ちっょと多い等)を額面どおり受け取ってはいけない。改めて、肝に銘じたい。