道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 妻の祖父が亡くなり、急遽富山へ向かうことになった。体調を崩して入院していたのだが、最近はだいぶ回復してきて、そろそろお見舞いに行こうかと話をしていたところへの突然の訃報である。通夜に間に合うよう、朝早く家を出た。富山へは新幹線と特急を乗り継いで、5時間近くかかる。着いたその日に通夜、翌日は葬儀へ参列した足で帰京するという、なかなかハードなスケジュールである。
 だいぶ前に僕の方の祖父母はすべて他界していたので、結婚してから妻と2人で、子供ができてからは3人で訪れた富山の家は、久しぶりに田舎に帰るという感覚を思い出させてくれる貴重な体験だった。祖父も祖母も高齢ではあるが元気で、欠かさず畑仕事もしていた。祖父はどちらかと言うと寡黙な人で、いつもニコニコ笑っていた。その一方で、どこか超然としたところがあり、楽しいことも辛いこともひっくるめて、人生を楽しんでいるようにも見えた。もう少し、いろんな話が聞けたらと思うと残念である。大往生ではあるが、お世話になった人が亡くなるのはやはり寂しい。
 喪主を務めたのは、祖父の長男である叔父さんである。この人もどちらかと言うと無口で、いつもニコニコ笑っているタイプなのだが、さすがに憔悴しきっていた。そして、葬儀で喪主挨拶をしている時は本当に辛そうだった。そんな姿を見ながら、僕は今までに参列した葬儀で、亡くなった自分の父親について語る男達の姿を思い出していた。皆一様に絶句し、涙を流していた。父親というのは、男にとって目標でありライバルである一方、反発し憎むべき存在でもある。その存在が自分の心の中に占めている割合の大きさに、それを失ったとき初めて気づき、皆うろたえるのではないだろうか。昔、父に祖父が亡くなった時、どんな風に感じたか訊ねたことがある。そのとき父は、「つっかえ棒を外されたような、何とも言えない心細い気分になった」と語った。その気持ちはこの歳になると、とてもよく分かる。
 ハードな旅ではあったが、目新しい電車にいっぱい乗れたのと、いろんな人に可愛がってもらったせいか、息子の機嫌は終始悪くなかった。その無邪気な笑顔は、葬儀に集まった人達を少なからず和ませるという役割を果たしていたようである。そんな息子もやがて父に反発し、激しく憎む時が来るだろう。そしてその先にある「和解の丘」に辿り着くまで、僕は何とか頑張って生きていたいと思うのであります。