最近、ほとんど夢を見ていない。何となく、断片的に場面を記憶しているようなことはあるのだが、それもすぐに忘れてしまうような類のものである。昔は実に様々な夢を見た。楽しいものもあれば、恐ろしいものもあった。そしてどれもかなりリアルで長大なストーリーが展開された。そして不思議なことに、あまり現実を反映したような夢は見なかった。登場人物はたいてい知らない人達で(夢の中では旧知の間柄であるが)、話はどれも最初は普通なのだが、途中から奇想天外な要素が入ってくるというパターンである。そういう夢を見た翌日、だいたい午前中いっぱいくらいは、なぜそんな夢を見たのだろうと思案することになる。もちろん結論などありはしない。ただ、その夢を反芻し、楽しんでいるだけだったのかもしれない。
夢の中だけでなく、覚醒している時間にも、よくそういうストーリーを夢想することがあった。こちらは無意識の世界ではないので、現実的な願望や欲望が少なからず反映されている。そういうことを考え出すと、イメージが次から次へと溢れ出して、あっという間に時間が過ぎてしまうことがあった。振り返って思うに、あれは一種のガス抜きではなかったか。現実との折り合いをつけることがきつくなった時に、そういう行為で精神のバランスをとっていたのかもしれない。もちろん夢想はあくまで夢想であって、現実の世界は何一つ変わってはいないのだが、何となく気持ちがスッキリしたり、楽になったりしたような気がする。
そういうことがなくなった最大の要因は、やはり家族を持ち、歳をとったことではないだろうか。時間的に余裕がない生活では、イマジネーションの世界に漂うことは容易ではない。そして、人生の選択肢がそれなりに狭まってしまった状態で、無責任な夢想を繰り返しても、空しくなるばかりである。そんなことをしているくらいなら、現実を見据えて次の一手を打てという声が、どこからか聞こえてくる。
しかしそんな中でも、僕はイマジネーションの翼を広げて、まだ見ぬ世界へ飛び立たなければならない。なぜなら、それこそが歌を作るという作業だからである。そして、その作業が、少なからず僕という人間の支えになっているからである。それを失うことは、かなりつらい。
思うように行かない時期があっても、諦めないでいこう。諦めなければ、いつかきっと、風が吹いてくるに違いない。