道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 もう50歳の声も聞こえてきたというのに、僕はなかなか大人になれない。礼儀作法も身についていないし、社会常識にも疎い。仕事の場や、公の場での大人の振る舞いというものが欠けている。そういうものを重要視してこなかったせいもある。また、そういうものに拒否反応を示す傾向があるのも事実である。そんなものは所詮形式であって物事の本質ではないと、高をくくっていた部分がある。しかしそういうスタンスが社会的に許容されるのは20代、かなり甘く見てもせいぜい30代までである。50歳近い男の振る舞いとしては、はっきり言って全くサマにならない。
 未だにフォーマル・スーツの一着も持っていない。先日、義理の祖父の一周忌があったのだが、普通のスーツを着ていたのは僕だけである。焼香の作法さえ覚束ない。取引先との打ち合わせでの名刺交換もいい加減である。そもそも名刺入れを持っていない。酒の席で、その場の空気に合わせることができない。幼稚園のお迎えで、集まったママさん達と挨拶を交わすこともできない。返信用封筒の「〜行」を「〜御中」に直すことができない。未だにお中元やお歳暮を贈ったことがない。敬語の使い方だって怪しいものだ。
 一人で生きているなら、すべて自分に帰ってくるだけだから、身から出た錆と思えば済むことなのだが、こういう人間が家族を持ち、父親になったりすると、話はそう簡単にはいかない。家族に迷惑がかかる場合があるからである。特に子供に与える影響は少なくない。そういうことで子供が嫌な思いをするようなことがあるとしたら、申し訳ない。今からでも改善すべきところは改善していかなくてはならない。
 先日、高校時代の友人から連絡があって、同窓会のホームページを見る機会があった。そこには「先輩として、大人として、母校への寄付をきちんと行いましょう」という趣旨の記載があった。そしてそれを読みながら、少なからず違和感を覚えている自分がいることに気がついた。こういうところは、もう人間として出来上がってしまったところなので、どうしようもないようだ。それを表に出すか出さないかが肝心なのだろう。
 すべてのことに迎合するつもりはないけれど、闇雲に自分の感覚だけで首を振るのと、いろいろと理解したうえで敢えて首を振るのでは、伝わり方にも大きな違いがある。できれば、後者のような人間になりたい。そのためには、嫌いなものも一度飲み込む必要がある。不味いけどね。