道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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事務手続きと遺体の処理が済むまでしばらく時間がかかるということで、我々はまた待機することになった。僕は外の空気が吸いたくなり、断って病院を出た。まだ動き出していない街をあてもなく歩いて、見つけたコンビニエンスストアで煙草を買い、駐車場の片隅に腰かけて煙草を吸った。晴れ渡った空は、今日も厳しい残暑になることを知らせている。頭の中を整理しようとしたが、思い直して止める。
病院に戻ると兄が事務員から説明を受けていた。その中で、どうやって遺体を家まで運ぶかという話になった。最終的には、兄の車の後部座席に乗せて運ぶことになった。まさか自分たちで遺体を運ぶことになるとは思わなかったので、僕はそういう決断をした兄に少し驚いた。何か彼の中で思うところがあったのかもしれない。その後、兄は病院の廊下にある自動販売機で遺体に着せる着物、帯、足袋などのセットを購入した。そんな自動販売機が世の中にあるなんて考えたこともなかった。実に効率がいい。
準備ができて、指定された出口に車を付けた。ストレッチャーに乗って出てきた母は、随分綺麗にしてもらったようだ。医師と我々で車に乗せた。かなり気温が上がりそうだったので、多めにドライアイスを入れてくれたそうだ。兄がハンドルを握り、僕が荷台で母を押さえることになった。カーブの度に母の体は左右に転がろうとする。僕は覆い被さるようにして母を支えた。
家に着いて、母を客間の布団に寝かせた。葬儀屋が来て慌ただしく打合せをした。通夜が行われ、翌日葬儀となった。
通夜の夜、客が帰った後で、僕は一人客間で母を見ていた。母はなんとなくほっとしたような顔をしていた。家に戻ったせいかもしれない。
葬儀の朝、再び顔を見に行くと、今度はなんだか微笑んでいるように見える。もしかすると自分が死んだことに納得がいったのかもしれない。あるいはそそっかしい死に方をしたのが恥ずかしかったのかもしれない。それとも、僕の心の中の気持ちがそういうふうに見させたのかもしれない。
母さん、終わり方は別にして、貴方の一生はそれほど悪くはなかったと思います。望んだ人生ではなかったかもしれませんが、結婚し、子供を育て上げ、孫にも恵まれ、子供が独立してからは好きなことに費やす時間もそれなりに持てたと思います。何より死の直前まで元気で生きていられたことはよかったと思います。もっとこうしておけば、ということがたくさんあるかもしれませんが(僕もそうですが)、物事の良い面を見ましょう。
厄介な荷物(父)を残していったことは気にしないでください。今まで任せっきりだったツケが回って来ただけのことです。残った本人と我々で何とかやっていきます。今までありがとう。
また、いつか会いましょう。