道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 彼は必死にメモを読んでいた。その表情は真剣そのものである。そこに書いてある内容を理解しようとしている。僕はそんな彼の姿を見つめている。
 六月のとある週末、久しぶりに実家に家族三人が集まった。兄と父と僕である。一人暮らしの父の様子を見るため、兄と交代で足を運んでいたのだが、その日は母の一周忌の相談をするために全員が集まったのである。僕が到着した時、父は兄の説明を聞きながら、新しい洗濯機の使い方を教わっている最中だった。それまでは母が使っていた二層式の洗濯機を使っていたのだが、家事の負担を軽くするために、全自動に買い直したのである。操作は簡単になったはずなのだが、父はなかなか覚えることができない。
 夕食の後、兄が父のために始めた宅食サービスの説明をした。その日が初めてだったので、容器の扱い方や、支払いの方法について父に話すのだが、ひととおり頷きながら聞いた後、父は「ところでこの容器はなんだ?」と言って、兄がまた初めから説明をし直すということが果てしなく続いた。その様子を見ながら、僕は父の現状を改めて再確認させられた。
 兄はその日のうちに帰り、翌日は父と僕の二人になった。その日は天気も良く、庭木の剪定をすることになった。父の意見を聞きながら、僕が高枝切りバサミで適当に枝を切り揃えていった。そういう時の会話は全く破綻がない。普段と違う状況や新しいことが加わると、途端に彼の頭は混乱してしまうようだ。毎日一人でやっていることでも、僕がそこにいるだけで怪しくなってしまう。
 その日は洗濯機の使い方を覚えるため、無理に洗濯物を見つけてきて二回洗った。記憶力は落ちているのだが、思考力は衰えていない。だから途中でふと疑問に思ったことを僕に聞いてくる。そうすると今自分がどこまで手順を進めたかをもう忘れてしまうのである。そんな様子を見ているうちに、僕はだんだんわかってきた。彼は記憶力と思考力のギャップに戸惑い、苛立ち、そして不安を抱いているのだ。現状を理解しながらも、まだ完全には受け入れられないのだということを。僕もまた、そんな彼の態度を受け入れられずに苛立っていたのだが、彼の心の中の葛藤に思い至ってふっと気が楽になった。子供の手前恥ずかしいからいろいろと文句や言い訳をしているが、彼は必死なのである。
 メモには兄の字で洗濯機の操作手順が書いてある。彼は脂汗を流しながら、それを睨んでいる。僕は黙って彼の様子を見守っている。