道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 息子の通う小学校から、時々緊急のメールが届く。大雨だから下校時間を変更するとか、行事が中止になったとか、近くで変質者の情報があったとかいった内容である。まあ大概は「ふーん」で済むような内容なのだが、ここのところ不穏なメールが多い。連続窃盗犯が現れてまだ捕まっていないとか、コンビニ強盗が発生したとか、何だかこの地域の治安は急速に悪化しているようである。
 その日届いたメールは、かなり深刻な内容だった。近所で傷害事件が発生し、犯人か逃走中であるという。教師が付き添って集団下校するという。ただ、息子はその日学童保育に行っていて、集団下校の対象にならない。しかも帰りは一人で、留守番をすることになっている。そういった場合はどうなるのか、そのメールには全く書いてない。そこは学校の責任の範疇ではないというのはわかるのだが、もう少し配慮があってもいいのではないか。とにかく様子が全く分からない。
 そこで、ネットでそれらしい情報を探ってみることにした。すると傷害事件どころではない。二人殺されている。しかも現場は家から歩いて10分足らずの住宅街である。依然犯人は逃走中である。学校からのメールの内容とはだいぶ違う。そもそも学校は正確な情報を把握しているのか不安になる。
 悶々としているところに、今度は学童保育から電話がかかってきた。時間になったら子供を帰していいか、それとも引き取りに来るかという確認である。最終的には途中まで付き添いがあるというので、そのまま帰してもらうことにしたのだが、その判断で良かったのかどうか不安になり、仕事を早々に切り上げて家に帰った。息子は留守番しながら楽しく遊んでいた。
 確率の問題は別として、僕らがトラブルや事件・事故と隣り合わせで暮らしていることは間違いない。それでも日々平穏な気分で暮らしていられるのは、「自分の身にはそういったことは起こらない」と考えているからである。あるいは心のどこかでそう思うことで不安を無意識のうちにシャットアウトしているからである。それは必要なことだし、そうしないと疲れてしょうがない。僕は悲観的な想像力が逞しい人間なので、よくその類のことを想像して、むやみに不安になることがある。ところが、経験的に言って、現実の災厄は決って僕の想像とは全く違った方向から襲ってくる。だからくよくよ考えてもしょうがないのだけれど、性分なので、もう直らない。