道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 あれから一年が経った。坊さんの都合で、7月に一周忌の法要を済ませてしまったので、特に何も行事はないのだが、やはり命日近くには墓参りがしたいと思い、また父の様子もしばらく見に行ってなかったので、9月の最初の週末に実家に帰ることにした。東京に住む叔母(母の妹)も同じことを考えていたらしく、一緒に墓参りをすることになった。日曜日の早朝の特急電車に乗り、実家へ向かった。
 早朝にも関わらず、特急電車は満席で、指定席をとっていなかった僕は、車両と車両の間のスペースに立つことになった。こんな時間にみんないったいどこに行くのだろうと思って座っている人たちを見ると、そのほとんどが高齢の女性であり、みな同じような服装をしてリュックを背負い、そのリュックにはスキーのストックのようなものが刺さっている。どうやら山歩きが目的のようだ、しかし皆実に元気である。どこかの駅で席が空けば、大声で立っている仲間を呼び、おしゃべりは果てしなく続き、絶えずいろんな食べ物があっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。恐らく日帰りで行ける距離の駅で降りるのだろうと思っていると、1 時間30分ほどで皆一斉に降りて行った。ほっとして空いた座席に座りながら、彼女たちはどうしてあんなにバイタリティーに溢れているのだろうと考えた。そしてもう一つ、どうしてあんなに大人数で行動しているのだろうと不思議に思った。
 僕の母は、父が病気だったせいもあり、子供たちが独立してからも、なかなか家を空けて外出することができなかった。そもそも、仲の良い女友達のグループといったものとは無縁であったようだ。人の好き嫌いが激しい性格だったので、気に入らない人が一人でもいると我慢できなかったのではないだろうか。ただ、街を歩くのは好きだったようで、仕事帰りに一人で喫茶店へ行ったり、知り合いの女性がやっている画廊に遊びに行ったりしていたようだ。そういう意味では、田舎より都会暮らしの方が本当は性に合っていたのかもしれない。父も母とは全く違うのだが、やはりあまり人付き合いに積極的な人ではない。そんな両親を持つ僕が、こういう性格になったのも必然だったのかもしれない。
北アルプスの麓のリンゴ畑の中にある墓地で、僕らは墓石を洗い、線香をあげて手を合わせた。雨が降るかと思われた空はいつしか晴れ渡って、汗ばむ陽気になった。1年前のあの日は、雲一つない青空で、猛烈に暑かったのを思い出した。あの日、暑い日差しの中で、僕は途方に暮れて歩いていた。