道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 最近、息子が友達の家に遊びに行くようになった。それ自体は一向に構わないのだが、行った先々で迷惑をかけるようなことをしていないか心配である。そして、人の家に行く以上、それなりに相手の親に負担をかけるわけで、お礼を言ったり、お礼にちょっとしたものを持たせたりと気苦労も多い。外で集まって遊べばいいじゃないかと思うのだが、それほど遊ぶ場所があるわけではない。そして何と言っても、他人の家に行くというのは子供とって魅力的である。一人ずつ違う家があり、違う生活があり、違う境遇があるということを理解することは、社会の中での自分の立ち位置を把握するためにも大切なことかもしれない。
 僕も息子と同じ歳くらいの頃は、よく友達の家に遊びに行ったものだ。一番よく遊びに行ったのは、瓦屋のK君の家である。その頃僕は三部屋しかない小さな社宅のようなところに住んでいたのだが、K君の家は、とても広くて、敷地内に瓦を焼く工場もあったため、とても複雑な構造をしていた。だから家の中を探検するだけでも楽しくて仕方がなかった。そして何と言ってもK君はとてもたくさんのおもちゃを持っていた。そのどれもが、僕が欲しくてしょうがないけれど買ってもらえないといったものばかりで、僕はK君の家に行くと、むさぼるようにそのおもちゃで遊びまくった。K君とは気が合ったし、おもちゃを自慢したり威張ったりするタイプではなかったため、僕は卑屈な思いをすることもなく、楽しく遊んでいた。一時期はほぼ毎日遊びに行っていたような気がする。もちろん僕は気が付かなかったけれど、きっと母はいろいろと気を使っていたのではないかと今にして思う。考えてみれば、K君が僕の家に遊びに来たという記憶は全くない。でも子供だった僕は、そんなことはまったく気にしていなかった。ただ単に彼の家に行くのが楽しかったからそうしていただけのことである。
 息子は帰ってくると、友達の家がいかに立派で、いかに素敵なおもちゃがあって、いかに自分よりいい暮らしをしているかといったようなことを話す。それは時によっては、僕をつらい気分にさせる。もしかしたら、僕も同じように親に対して話をしていたかもしれない。なぜ僕はあのおもちゃを買って貰えないのかなんて言って、親を困らせていたのかもしれない。いや、きっとそうだろう。でも子供ってそういうものだし、それをのらりくらりとかわしていくのが親の仕事だったりする。因果は巡るのだ。