道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 1月初旬の日曜日、僕は新型車両になった「スーパーあずさ1号」に乗って、実家へ向かった。母が死んで、一人暮らしになった父の様子を見に行くためである。新しくなった特急の内装は随分とシックになって、全座席にコンセントが付いた。窓も広くなり、快適である。しかし僕が最も望んでいる所要時間は全く短縮されていない。一体何のために新しくなったのだろうか。せめて10分でもいいから早く到着してくれたら、もう少し褒めてあげてもいいのだけれど、どうもユーザーのニーズを把握していないように思えて仕方がない。やはり新幹線を通さないとダメなのかしら。
終点の松本で降りて、ローカル線に乗り換える。快晴の朝で、雪を被った北アルプスが遥か彼方まで見渡せる。登山客らしき人たちがしきりにスマートフォンで撮影している。しかし、地元民たちは全く見ようとしない。それは日常の風景だからだ。かつては僕もそうだった。しかしもはや地元民ではなくなったので、写真は撮らないけれど観光客気分でその雄大な景色を眺めている。
 父は居間の炬燵でボーっとしていた。寒くてなにもやる気が起きないという。そのくせファンヒーターはつけていない。ここが昔から不思議に思っているところである。寒いなら暖房をつければいいのに、それをせずに寒い寒いと言っている。別に灯油代がもったいないわけではない(と思う)。どうも、寒い時は寒いんだからしようがないと思っているフシがある。そしてそれは実家だけでなく、長野県全体の傾向であるような気がする。必要以上に暖かくすることを恥とするような雰囲気がある。変なプライドを持っている厄介な土地柄である。そしてそれは、暖房だけに限った話ではない。
 父は一人暮らしを始めて1年以上になる。最近、やっと慣れてきたようだが、その一方で認知症も確実に進んでいるようだ。遠くない将来、一人暮らしは困難になるに違いない。記憶が抜け落ちていくことに、彼は今、とても怯えている。もともと気に病む性格なので、認知症より、それを気に病むことで精神的に参ってしまうのが心配である。
 そんな父と、母の墓参りに行った。安曇野を見下ろす山裾にあるその墓地には、誰もいなかった。田んぼが見え、川が見え、点在する家屋と神社、そしてそれらを取り囲む防風林が見える。昔から変わらぬ風景である。母はここから毎日安曇野を眺めているのだろう。それは悪くない環境のように思える。都会のビル街の一画に取り残された墓地に比べれば、少なくともずっといい。