道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 最近、小学校の卒業式で「仰げば尊し」を歌わないらしい。地域や学校の方針によって違うのかもしれないが、少なくとも息子の小学校の卒業式では歌わなかった。代わりに違う歌が流れていた(コロナ対策でその場では歌唱せず、録画したものがスクリーンに映し出された)。それはそれでいい歌だったし、変化を否定するわけではないのだが、何となく物足りない。それは年寄りの繰り言だろうか?まあ、そうだろう。
 そもそも、先生も生徒も淡々とやるべきことをこなしているだけで、あまり想いが伝わってこないのだ。それは今の学校のあり方によるところが大きいのかもしれない。ほぼ毎年クラス替えがあり、担任の先生もコロコロと変わる。ちょっと厳しいことをするとすぐに問題視され、情報が拡散し、たたかれる世の中である。学校も自ずとリスク管理をしなければならない。教員だって無難に勤めるようになる。そんな中で先生と生徒達の固い絆が結ばれることはあまりないだろう。むしろ、先生も生徒もそんなことは望んでいないかもしれない。
 自分の体験を引き合いに出してあれこれ言うのはみっともない、という世の中になった。「わしの若い頃は・・・」というヤツである。僕が子供だったとしたら、やはり「また始まったよ・・・」とウンザリするに違いない。ただ、そう考えて何も言わなくなってしまうのが正しいことなのかは疑問である。「お友達社会」みたいなのは気持ち悪い。うざい年寄りがいて、ガミガミ言う親がいて、厳しい先生がいて、それに子供たちが反抗したり、ウンザリしたりして成長していくのが正しいような気がする。
 「仰げば尊し」を歌えるのは卒業生の特権である。下級生の頃、いつもそう思って卒業式を見ていた。「♪今こそ別れ目~」のところで先生が歯を食いしばって涙をこらえている。それは美しい光景だった。だから僕はあの歌が好きだ。
 「時代が違うから」で済ませていいものだけではないような気がする。え?うざいですか?すみませんね、年寄りなもんで。