どうやら僕はケチであるらしい。家族全員が口をそろえて言うのだから、多分間違いないのだろう。それは美徳である場合もあるのだが、大抵は迷惑がられる。何度も家族のウンザリした顔を見ている。しかし、周りの人間をウンザリさせるためにケチをしているわけではない。更に言えば、自分がケチであるとは思っていない。ただ「金銭を使うことに慎重である」と思っているだけである。いや、それがケチか。
お金に関しては、基本的に一人暮らしをはじめてから培われてきた部分が多い。いろいろ貴重な経験もした。しかし基本的には学生時代の貧乏暮らしが根底になっている。あまりバイトをしなかったので、仕送りの残金をコタツの上に並べて、「さあ、これであと2週間どうやって過ごそうか」なんて腕組みして考えていた。それが嫌だったかというと、僕の場合そうでもなかった。むしろ結構楽しんでいたところがある。ということは、もともとケチの素養があったということなのだろう。
先日、食洗機が壊れて修理を頼んだら、「ポンプとフロートの交換で7万円位かかるので、新品に交換したほうがよろいかと思います。」と言われた。最近出費が続いていたので、僕は考え込んでしまった。不便な日々を送りながら一人悶々と考えているうちに、「本当にそうなのか?」と思うようになった。その修理業者のちょっとあやふやな言動も気になっていた。ネットの情報を元に、駄目元で分解してあれこれいじってみたら、結構簡単に復活してしまった。僕は心の中でガッツポーズをした。これで大枚はたいて買い換えなくて済む。珍しく家族にも感謝された。しかし、これはレアケースである。大抵はほろ苦い結末になる。
何かが足りない状況を打開するには、想像の翼を広げる必要がある。それは人生において少なからず必要なことだと思う。ただ、その翼をどこで広げるかは人によって違う。それが価値観の違いということになるのだろう。価値観の多様性を尊重しながら暮らしていこうではありませんか、皆さん。