道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 秋である。秋と言えば、食欲である。食欲といえば、メタボである。メタボと言えば成人病である。成人病と言えば、食事制限である。中高年とは不自由な生き物である。

 僕にとって秋の味覚と言えば、山育ちなのでやはりキノコである。子供の頃は毎週末と言っていいほど親に連れられて山歩きをしていた。秋になるとそこにキノコ採りというイベントが加わった。それは楽しくもあり、辛くもあった。

 山菜として自生している食用のキノコを採ることは、なかなかに難しい。まず、食用のキノコを見分ける知識と経験が必要である。そして季節になれば、皆キノコを採りに行く。本格的にやっている人たちは、タイミングを見計らっているので、素人家族がのんびり採りに行く頃には、あらかた採りつくされていたりする。そのような状況下で、知識と経験に乏しい子供がキノコを採れるかと言えば、これは結構難しいのである。ほとんど無理と言っていい。セミプロが興味を示さないような駄キノコ(そんな呼称はないと思うが)の取りこぼしをたまに偶然見つけるくらいである。まあそれでも見つけられれば十分楽しい。いずれにしても、目を凝らして山の中を文字通り這いずりまわることになる。紅葉を楽しんだりしている余裕もない。

 それでも稀にたくさん採れることもあって、何度か山の中でそのままキノコ鍋にして食べた記憶がある。キノコと豚肉だけであるが、とても美味かったと記憶している。まさに野趣溢れる味わいであった。(と思う。)

 キノコ採りに夢中になっていると、気が付くと自分の居場所がわからなくなったりするので、時々声を掛け合ったりして自分の位置を確認する。子供たちと父はそれで迷子にならないようにしているのだが、母はフリーダムな人で、黙ってどんどん遠くへ行ってしまう。残った男3人がどうしたものかと途方に暮れていると、思わぬ方角からひょっこり姿を現す。そんなことも今となっては懐かしい思い出である。