道草の友(シンガーソングライター・大久保雅永の日々)

ライブ情報: 4/13(Sat)open:17:30 start:18:00 ライブハウスコタン(20:00頃出演)

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 ライブハウス・コタン
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道草な話

 飛行機は無事金浦空港に着陸した。入国審査を済ませ、地下鉄に乗り換える。ホテルに荷物を預け、ソウルの繁華街へ向かう。一泊二日の強行軍である。時間を有効に使いたい。

 外国にいるのに外国にいる気がしないのは、韓国の人たちが日本人とあまり変わらない見た目をしているせいかもしれない。繁華街に来ると、日本と同じような店が軒を連ねている。まるで渋谷か新宿を歩いているような錯覚を起こす。ところが、いざ周りを見渡すとハングル文字だらけで、さっぱりわからない。話す言葉も全くわからない。そのギャップに少々イラついてしまう。

 昼食はキンパとラーメン(どう見てもインスタント)で済ませ、おしゃれスポットへと移動し、カフェでまったりする。韓国も日本と同じように蒸し暑く、外を歩くのがつらい。頃合いを見計らって焼肉を食べに行く。日本と同じく牛肉は高価である。豚肉(サムギョプサル)の食べ放題で満腹となる。ホテルに戻り、欲も得も無く眠る。

 翌日は早めにホテルを出て、地元の食堂で朝食を食べることにする。激しい雨の中、迷ってやっと見つけた目当ての店でぼったくられ、閉口する。とても近代的なビル群があるかと思えば、廃墟のようなアパート群が立ち並んでいたりする。そのコントラストが強烈である。

 午後はピカピカのショッピングモールのパン屋でまたしてもぼったくられそうになる。全く油断がならない。二日目になっても日本にいるような気分が抜けない。ここは外国なんだぞと自分に言い聞かせる。そうしないとついつい気が緩んでしまう。幸いそれ以上危険な目にあうことはなかった。

 韓国に来て思ったこと。似て非なる国を楽しむのはなかなか難しいということ。深く関わってみないと、多分本当の魅力が見えてこない。食事も同様である。まあ今回は大きなトラブルもなく、無事帰国できたことでよしとしよう。そうしよう。

道草な話

 夏真っ盛りである。夏休みといえばプールにスイカにラジオ体操というのは昔の話。毎日熱中症警戒アラートとかいうものが発令され、屋外での行動を控えるようにと言われる。息子ももうプールに行くこともなく、塾だの部活だのの毎日である。部活だって熱中症を警戒して、グラウンドが使えず、体育館を譲り合って使っているらしい。

 正直、休日だからといってなかなか日中に外出する気になれない。買い物なんかは日が陰りだす夕方から出掛けることにしている。皆同じことを考えているようで、夕方になるとマンションのあちこちから人が出てくるのがわかる。窓から眺める夏空はとても気持ち良さそうで、何だかもったいないような気もするけれど、まあ仕方がない。

 兄からやっと実家が売れたよと連絡があった。住む人がいなくなった実家は、ずっと兄が手入れをしながら買い手を探していたのだ。これで僕は帰る家がなくなった。寂しいかと聞かれれば、それは寂しい。しかし、正直なところそれほどでもない。僕の家は何度か父の転勤の都合で引越しをしている。最終的に今実家がある場所に落ち着いたのだが、どこかよそ者感が拭えない。我がふる里とは言い切れないところがある。僕にとっての「兎追いしかの山」や「小鮒釣りしかの川」は違う場所にあるのだ。なんとももどかしい話だが、だからと言って親を恨む気にはならない。皆それぞれいろんな都合があって生きているのである。僕だって同じことだ。人に文句を言える立場ではない。全然ない。

 東京で暮らして、歳を重ねて来ると、時々ふと、ふる里に帰りたいと思うことがある。しかしその時に僕の頭に浮かぶのは、漠然としたイメージである。そこには昔暮らした場所のいろんな風景やテレビや映画で見た風景が混ざり込んでいる。息子はどうだろう。将来ふる里と言われて、今住んでいるマンションを懐かしく思い起こすだろうか。うーん、わからん。

道草な話

 職場が恐ろしいほど寒い。エアコンの効きが良すぎるのである。(設定温度はちゃんと28度になっているのだが。)省エネだのエコだのが叫ばれはじめて久しいこのご時世に逆行するような所業である。いったいどうなっているのだろう。

 外は猛暑である。したがって、職場に到着してしばらくは大変快適である。しかししばらくすると、半袖ではいられないほどの寒さを味わうことになる。慣れた人たちはカーディガンなんか羽織って仕事をしている。ひざ掛けのようなものを肩から被っている人もいる。僕はまだ半袖のままなので、露出した腕をさすりながら仕事をしている。このままだと体調を崩しそうだ。何とかしなければいけない。

 昔、コンピュータールームで仕事をしていたことがある。そこは人間ではなく、コンピューター様のための部屋であるので、コンピューター様が快適な温度(20度前後)に常に保たれている。したがってその部屋で仕事をする人間達は、真夏でも分厚い作業着を着ている。出勤してきた、あるいは外回りをしてきた社員たちが、よくコンピュータールームに入ってきて、涼んでいたものである。セキュリティもくそもあったもんじゃないが、まあのどかな時代だった。しかし、そこに常駐している者にとってはたまったもんじゃない。昼休みに外出なんかしようものなら、温度差にめまいがするほどである。体にいいわけがない。

 しかし今思うと、あのコンピュータールーム時代はなかなか楽しかった。他に誰もいなかったし、窓からの眺めも良かった。たくさん歌詞も書いた。(もちろん仕事の合間に、です。)時々顔見知りの女子社員がやってきて、しばらく雑談して帰って行ったりした。(ええと、雑談しただけです。本当です。)

 基本的に一人、時々他人と交流、というのが僕に一番合っているライフスタイルだと今でも思っている。しかし人生というのは得るものもあれば失うものもある。まあ、そういうことだ。

道草な話

 最近、通勤するサラリーマン達が、結構な割合で四角いリュックを背負っている。子供たちがよく背負っているスポーツメーカーのロゴが入ったやつと同じような形をしている。結構デカい。そして奥行がある。慎ましく暮らしている独身男性の家財道具なら、丸ごと入ってしまいそうな感じがする。

 中学生や高校生なら、「ああ、部活の道具とか入っているのね。じゃあしょうがないよね。」と思えるのだけれど、サラリーマンが何であんな巨大なリュックを背負って毎日通勤しているのか、僕にはサッパリ理解できない。僕も随分長いこと通勤生活を送っているけれど、あの巨大なリュックが必要かと言われると、全くそうは思わない。しかも不思議なことに、誰もがそのリュックをパンパンにしているのである。いったい何が入っているのだろうか。パソコンと書類とお弁当と水筒を入れたって、スカスカだと思うのだけれど。

 何でそんなことを気にしているかというと、とにかく邪魔なのである。皆気を使って、前に背負って電車に乗っているのだが、そういう問題ではない。軽く人一人分のスペースを占有している。人数的に乗れるなと思って電車に乗り込もうとすると、その巨大かつパンパンのリュックで押し戻されることも少なくない。だから不思議なのである。一体あの中には何が入っているのだろうか。何度か本気で聞いてみようと思ったこともある。まあ、我慢したけど。

 いろいろと想像を巡らせたのだが、最終的に僕が辿り着いた結論は、「敢えてパンパンにしている」である。あのタイプのリュックはパンパンの状態がかっこいいということになっているのではないか。そしてパンパンにして前に背負って満員電車に乗ると、目の前に人一人分程度の自分の空間が確保できるからではないか。そうすれば臭いオッサンの頭を気にすることもないし、スマホを見るにも快適である。そうだ、きっとそうに違いない。もしそうだとすると、余計に腹立たしいけれど。

道草な話

 コロナ騒ぎが終わった(コロナが終わったわけではない)からなのか、ゴールデンウイークはどこもホテルが一杯で、泊りがけの旅行は諦めた。代わりに日帰り旅行で鎌倉に行くことにした。調べてみたら、最寄駅から普通電車一本で40分くらいで行けるのである。実に手頃な観光地である。

 鎌倉には、学生時代に一度だけ行ったことがある。その時の印象があまり良くなかった。僕は京都や奈良のようなイメージを抱いて行ったのだが、それに比べると随分とこぢんまりとした印象で、訪れた寺院もほとんど記憶に残っていない。そもそも中に入れる寺院があまりなかった印象であった。だからそれ以降、あまり鎌倉という場所への興味は湧いてこなかった。加えて、僕は「鎌倉」と聞くと、必ずグレープの「縁切寺」という曲が頭に浮かんでくるという悲しい習性を持っている。とても暗~い曲で、その曲と鎌倉を結び付けてしまうので、余計に足が遠のくのである。

 しかし、改めて調べてみて、昔訪れた時に巡ったルートが自分に合っていなかったことに気がついた。僕が望んでいるものはひとつ手前の北鎌倉駅周辺に点在していた。そこで今回は北鎌倉駅で降りて寺院を堪能し、続いて鎌倉駅方面へ移動して観光地気分を味わうことにした。

 予想に違わず、北鎌倉駅周辺は実に良い雰囲気だった。人もそれほど多くなく、山を背にして大伽藍が広がる光景はまさに僕が望んだものであった。京都や鎌倉と違うところは、海が見えるところである。少し高台に登ると、低い山々の向こうに湘南の海が見渡せるのである。悪くない眺めだ。

 それから徒歩で鶴岡八幡神社まで移動する。北鎌倉とは打って変わって人の波が辺り一面埋め尽くしている。そして江ノ電は入場制限である。行列に並んですし詰めの電車で城ケ崎海岸まで移動する。それでも海岸からの夕景は素晴らしかった。

 僕らは満足して(そして疲労困憊して)帰路についた。

道草な話

 我が家は、代々ボケ老人家系である。祖父に始まり、父、父の兄弟(叔父達)すべてボケ老人の道を辿って亡くなっている。こうなってくると、当然、次の世代である我々も無縁とは思えない。だから父の葬式の時に集まった従兄弟たちと、この問題について真剣に話し合ったことは言うまでもない。とりあえず、最年長の従兄弟の今後を注視するするという結論でひとまず解散となった。もちろん、半分は冗談である。

 ただ、体質における血筋や家系の影響は間違いなくある。生活習慣によるところも少なくないとは思うが、遺伝子に刻み込まれているものに抗うことは難しい。僕の髪の毛の減り具合なんかは父や兄と酷似している。但し、我々は父方と母方の遺伝子を受け継いでいるはずである。だとすると、希望がないわけでもない。幸いなことに、母方の叔父・叔母らは皆ボケる気配はない。もちろん、今のところということだが。

 自分はボケてきているだろうか?今のところ大きな変化はないようである。もちろん、記憶力は少なからず低下している。リビングからキッチンに移動して、さて、何をしに来たんだっけと思うこともたまにはある。必要なものがあって買い物に出かけて、それだけ買い忘れて帰ってくることもある。でも、そんな話をすると、みんな「そんなのよくあることだよ」と言ってくれる。だから全然大丈夫である。たぶん。

ボケるとかボケないとか以前に、自分の年齢を忘れてしまうことはよくある。以前と変わらない気分で暮らしていて、ふと鏡の中に映っている初老の男を見て愕然とする。日ごろから戒めているのだが(例えば、女性の反応に勘違いしないようにとか)、なかなかうまくいかない。

 恐らくそんなことを気にする必要はないのだろう。好きに生きればいいのだ。そう遠くない未来に、僕はいなくなる。それまでの時間をできるだけ意識がクリアな状態で楽しみたいだけだ。歌ったり、飲んだり、笑ったり、泣いたりして。